革命のエコーで踊れ〜ペルー サンチュアリオ 2025年9月限定コーヒー (コーヒートラベラーNの手記8)

古い地図と聖なる谷の冒険

Nは、ペルーのCajamarcaの霧深い山道を歩いていた。手に握るのは、1968年の革命の年に書かれた古い地図だ。紙の端は擦り切れ、インクで書かれたメモが薄く残っている。

「Santuario—聖なる場所」

と書かれた一文に導かれ、San Ignacioの谷にたどり着いた。朝陽がアンデス山脈の斜面を照らし、グアノの香りを帯びた火山土壌が足元で柔らかく響く。

目の前に広がる小さな農園では、コーヒーの木々がバナナの木陰に守られ、赤いチェリーが朝露に輝いている。

「ようこそ、私たちの谷へ。」

農家のマリアが笑顔で迎えた。彼女はAPROCASSI協同組合のメンバーだ。600人以上の零細農家が集まり、この谷で未来を育てている。

「この地図、どこで見つけたの?」

マリアが地図を覗き込みながら聞いた。

Nは、革命の遺産が息づくこの場所で、冒険の始まりを感じた。

革命の種、再生の物語

Nは地図を広げ、マリアに尋ねた。

「この谷のコーヒーは、どんな歴史があるの?」

マリアは目を細め、遠くの山並みを指さした。

「18世紀、フランス人宣教師がアラビカ種を持ち込んだのが始まりよ。19世紀には、『黄金の豆』として輸出が盛んになり、国を支えたわ。」

しかし、1968年の革命がすべてを変えた。大農園は解体され、土地は小さな農家に分けられた。平均5エーカーの畑で、農家たちは新しい夢を植えた。

「内戦の傷跡が残る中、1980年代から協同組合が生まれ、スペシャルティコーヒーへの道が開かれたの。」

マリアの声に、誇りがこもっていた。

Nは、谷の風に吹かれながら、革命の種が今も芽吹いていると感じた。

サン・イグナシオの街角、響く鼓動

農園訪問の前、Nはサン・イグナシオの小さな町を歩いた。石畳の細い通りは、色鮮やかなアドビの家々が連なる—アドビとは、日干しレンガでできた伝統的な建物で、土の温もりが感じられる。

市場では、マンゴーやパパイヤの甘い香りが漂い、広場で子供たちが笑い合う。路地を曲がると、老人が木陰で「ティコ」をすすっていた—ティコとは、小さなカップに入れたエスプレッソ風の濃いコーヒーで、地元の人々の日常の活力源だ。Nは、その素朴な一杯に、谷のコーヒーの源流を感じた。

屋台の女性が、元気よく呼びかける。「タマーレス!新鮮よ!」タマーレスとは、トウモロコシの粉を練った生地を具材と混ぜ、トウモロコシの葉に包んで蒸した伝統食だ。Nは一つ手に取り、支払うと、女性が「アンデスの味を味わってね!」と明るく言った。

彼女の顔は日焼けし、目尻に笑いジワが刻まれ、谷の厳しい生活を物語るが、声は温かく、客を家族のように迎える雰囲気だ。Nはベンチに腰を下ろし、タマーレスをかじった。熱々の蒸気が立ち上り、トウモロコシの優しい甘さとスパイスのピリッとした刺激が広がる。

街の喧騒—鶏の鳴き声、バイクのエンジン音、子供の笑い—が、革命の落書きが残る壁とともに、町の鼓動を伝える。このコントラストが、静かな谷の農園と繋がり、Nの心に深い印象を残した。

路地裏で、壁に残る革命の落書きを見つけた。色褪せた「Tierra y Libertad」(土地と自由)の文字。この町の鼓動は、1968年の革命のエコーだ。農家たちが土地を取り戻し、コーヒーの木を植えたように、この町もまた、過去と未来を繋ぐ生き物だと感じた。Nは、市場の喧騒と静かな谷のコントラストに、聖なる場所の息吹を見た。

聖なる谷の恵み

San IgnacioとJaenの高地、標高1,450メートル。火山性土壌がミネラルを蓄え、アマゾン川の源流近くの熱帯雨林気候が豆を育む。昼の暖かさと夜の冷気が、チェリーをゆっくり熟成させ、深い味わいを宿す。

「この土、グアノで養われているのよ。海鳥の糞から作られた肥料で、土を豊かにするわ。」

マリアが土を手にすくい、Nに差し出した。

バナナやアボカドのシェードツリーが土壌を守り、生物多様性に満ちたこの谷は、気候変動の干ばつやさび病に立ち向かいながら、持続可能な未来を築いている。APROCASSIの農家たちは、女性農家が3割を占め、子供たちの学校を支え、森を再生する。

「私たちは、この聖なる場所を、みんなで守っているの。」

マリアの言葉に、谷の力が響いた。

品種のハーモニーと、クリーンな秘密

Nは木に近づき、マリアに尋ねた。

「Santuarioのコーヒーは、どんな品種なの?」

マリアは木の葉を撫で、微笑んだ。

「Typicaのナッツのような甘さ、Bourbonのフルーティーな深み、Caturraの明るい酸味よ。60%以上が伝統品種で、谷の物語を語るわ。CatimorやCastilloはさび病に強く、未来を守る力を持つ。」

Nは、品種の多様性がこのコーヒーの魂だと感じた。

マリアが続けた。

「Washedプロセスが、その魂をクリーンに引き出すの。」

完熟チェリーを摘み、果肉を剥がし、20-36時間発酵させてミューシレージを分解。水で丁寧に洗い、アフリカンベッドで10-20日ゆっくり乾燥させる。

Nは、農家が豆をかき混ぜる姿を見た。

「まるで、谷の秘密を解き明かす鍵ね。」

マリアが笑った。このプロセスが、雑味のないクリーンな風味を生む。

カップに宿る、聖なるダンス

カッピングルームで、Nは一杯を手に取った。

香りはベリーとオレンジ、雨後の土の清々しさ。飲むと、しっかりした苦味がまず広がるが、渋みやえぐみは一切ない。

スムースで抵抗なく、酸味がベリー系の甘みと心地よく踊る。甘さはくどくなく、舌の上でまろやかな旨味となって転がる。

飲んだ後は、まるでそれまでの味のダンスがなかったかのように、優しいビターが静かに残る。そしてまた、ダンスの輝きを楽しむために飲みたくなる。

SCAA 2010年の1位、Qグレード83.25点の評価が、この豆の輝きを証明する。Nはカップを置き、微笑んだ。革命の種、農家の情熱、聖なる谷の土—すべてがこの一杯に繋がる。サン・イグナシオの街角で感じた鼓動が、カップの中で響き合う。自分は旅人として、このダンスを世界に届けるのだ。

この物語を、あなたのカップで。

西原珈琲店にて、ぜひお楽しみください。

※本記事は、ペルー・Cajamarca県San Ignacioの「Santuario」の歴史と特徴を基に創作されたフィクションです。コーヒーの味わいとともに、その土地の記憶と人々の営みを感じていただければ幸いです。

—-風味バランス—-

苦味 ★★★

酸味 ★★☆

コク ★★★

甘味 ★★☆

焙煎 ★★☆

フレーバー:ベリー、オレンジ、雨後の土

農園データ

生産国ペルー
標高1,450〜1,700m
品種ティピカ、カツーラ、カツアイ、カチモール、カスティージョ、ブルボン
精選ウォッシュド

農園データ

火山と古木の贈り物〜パカマラレッドハニー 2025年8月限定コーヒー (コーヒートラベラーNの手記7)

火山の贈り物と、古木の記憶

Nは、エルサルバドルのケサルテペケ(Quezaltepeque)の霧に包まれた山道を、

ゆっくりと登っていた。

朝の陽光が、San Salvador Volcanoの噴火口、El Boquerónを優しく照らし、

足元の火山灰土壌がシンと音を立てる。

標高1,300メートルを超えるこの斜面で、

Nは一本の古い木に目を留めた。

60年以上前に植えられたRed Bourbonの木だ。

太い幹は風雨に耐え、

葉の間からパカマラ(Pacamara:コーヒー品種)の大きな実が、

朝露をまとって輝いている。

軽く風が吹き、

土のミネラル混じりの新鮮な香りが、

鼻をくすぐった。

この古木は、ただの木じゃないの。私たち家族の絆を象徴しているのよ。

農園主のアニー(Anny Ruth Pimentel)が、

穏やかな笑みを浮かべて語った。

ロマラグロリア農園(Finca Loma La Gloria)は、1990年代後半、

彼女の父Roberto Pimentelから

結婚の贈り物として託された農園だ。

土木エンジニアだった父は、

この火山の麓の土地を娘にプレゼントし、

コーヒーの未来を託した。

内戦の傷跡がまだ生々しい時代に、

それは復興の象徴だった。

Nは、アニーの瞳に映る父の記憶を、

静かに想像した。

歴史の影と、再生の光

エルサルバドルのコーヒーの物語は、

18世紀後半にグアテマラから持ち込まれた

アラビカ種の種子から始まる。

19世紀には「黄金の豆」として国を支え、

輸出が国家の収入源となった。

コーヒーのおかげで、

学校や道が作られ、

人々の生活が豊かになった。

でも、1980年から1992年の内戦で、

多くの農園が荒れ果て、

家族たちは土地を失った。

Nは、遠くの山並みを眺めながら、

そんな暗い影を思った。

しかし、戦後、

政府と国際支援の手で、

コーヒーは再生した。

高品質なスペシャルティコーヒーへシフトし、

ケサルテペケ(Quezaltepeque)のようなコーヒー産地は、

シトラスやフローラルのバランスの取れた風味で、

世界に知られるようになった。

シェードグロウン—木陰で育てる方法—

が主流で、

環境を守りながら豆を育てる。

アニーは父の遺志を継ぎ、

2001年に自園の精製施設を建て、

収穫から精製までを一貫して管理。

地元のコミュニティを雇用し、

教育プログラムを展開する。

土地と人々が、

再び繋がっていく光景だ。

火山の力、土のミネラル

Nは、手で土をすくい上げた。

火山灰の細かな粒子が、

指の間を滑り落ちる。

豊かなミネラル—

カリウム、マグネシウム、鉄分—

が、コーヒー豆に深い味わいを吹き込む。

標高の高いこの場所では、

昼の暖かな陽射しと

夜の冷たい風が、

豆の成熟をゆっくりと進める。

シェードツリーの葉ずれ音が、

周囲に響き、

パカマラ(コーヒー品種:Pacamara)の実は、

火山の恵みをたっぷり吸収して育つ。

古木の根は、土深くまで張り、

1917年の噴火の記憶さえ

乗り越えてきた。

噴火口El Boquerónを遠くに望む

この農園は、

地震のリスクを抱えながらも、

生物多様性に満ちた

El Boquerón国立公園に隣接する。

Nは、青々とした葉の海を眺め、

自然と人の共生を感じた。

火山の力が、

土に命を与え、

豆に独特の明るい酸味を宿す。

古木の品種と、ミューシレージの秘密

パカマラは、エルサルバドルが生んだ

特別なハイブリッド品種だ。

1958年、研究所でPacas(Bourbonの変異)とMaragogypeを交配し、

30年以上の努力で完成した。

大粒で希少、

遺伝が少し不安定だから収量は少ない。

でも、それがプレミアムな価値を生む。

風味は明るい酸味(オレンジ、シトラス)と

甘味(キャラメル、ハニー)、

さらにチョコレートやフローラルのニュアンス。

農園の古木は、

60年以上の歳月が、

味わいに深みを加える。

気候変動の脅威下で、

こうした品種を守る努力が続いている。

精製はレッドハニープロセス。

完熟したチェリーを手で丁寧に摘み、

果肉を除去した後、

ミューシレージ—粘液層—を40-60%残す。

この層に含まれる糖分

(フルクトース、グルコース、ペクチン)が、

乾燥中に豆に染み込み、

甘味と果実味を豊かにする。

パティオで10-20日、

天日でゆっくり乾燥させ、

定期的にかき混ぜて発酵をコントロール。

火山のミネラルが

ミューシレージの成分を活かし、

土の繋がりをカップまで届ける。

Nは、豆の表面に残る甘い粘りを指で触れ、

秘密のプロセスに魅了された。

カップに宿る繋がり

カッピングルームの柔らかな光の中で、

Nは一杯を口に運んだ。

まず、しっかりと苦味が舌を包み、

酸味の刺激がピリッと走る。

青い果実を齧ったような渋さが、

余韻に残る。

ファーストインプレッションは、

屹立した峠のように厳しく感じる。

でも、次にしっかりとしたコクと深みが広がり、

余韻の中に甘みが漂う。

何より、旨味が全体を優しく繋ぐ。

峠の頂上で広がる甘美な景色が、

混ざり合うようだ。

一筋縄ではいかない、

コーヒー通の心を掴む豆だ。

Cup of Excellenceでの過去優勝

(2003年、2008年、89-92点の記録)と

国際レビュー(Coffee Review 92点: スムースでフルーティー)が、

この味を証明する。

Nは、カップを置いて微笑んだ。

古木の贈り物、

家族の継承、

火山の土—

すべてが繋がり、

この一杯に宿る。

自分も旅人として、

この繋がりを世界に届ける。

この物語を、あなたのカップで。

西原珈琲店にて、ぜひお楽しみください。

※本記事は、エルサルバドル、ロマラグロリア農園の「パカマラレッドハニー SHG」の歴史と特徴を基に創作されたフィクションです。コーヒーの味わいとともに、その土地の記憶と人々の営みを感じていただければ幸いです。

—-風味バランス—-

苦味 ★★★

酸味 ★★★

コク ★★☆

甘味 ★☆☆

焙煎 ★★☆

フレーバー:青い果実、ダークチョコレート、濡れた木

生産国エルサルバドル
農園ロマラグロリア農園
標高1,200〜1,700m
品種パカマラ
精選レッドハニー

農園データ