火山の贈り物と、古木の記憶
Nは、エルサルバドルのケサルテペケ(Quezaltepeque)の霧に包まれた山道を、
ゆっくりと登っていた。
朝の陽光が、San Salvador Volcanoの噴火口、El Boquerónを優しく照らし、
足元の火山灰土壌がシンと音を立てる。
標高1,300メートルを超えるこの斜面で、
Nは一本の古い木に目を留めた。
60年以上前に植えられたRed Bourbonの木だ。
太い幹は風雨に耐え、
葉の間からパカマラ(Pacamara:コーヒー品種)の大きな実が、
朝露をまとって輝いている。
軽く風が吹き、
土のミネラル混じりの新鮮な香りが、
鼻をくすぐった。
この古木は、ただの木じゃないの。私たち家族の絆を象徴しているのよ。
農園主のアニー(Anny Ruth Pimentel)が、
穏やかな笑みを浮かべて語った。
ロマラグロリア農園(Finca Loma La Gloria)は、1990年代後半、
彼女の父Roberto Pimentelから
結婚の贈り物として託された農園だ。
土木エンジニアだった父は、
この火山の麓の土地を娘にプレゼントし、
コーヒーの未来を託した。
内戦の傷跡がまだ生々しい時代に、
それは復興の象徴だった。
Nは、アニーの瞳に映る父の記憶を、
静かに想像した。

歴史の影と、再生の光
エルサルバドルのコーヒーの物語は、
18世紀後半にグアテマラから持ち込まれた
アラビカ種の種子から始まる。
19世紀には「黄金の豆」として国を支え、
輸出が国家の収入源となった。
コーヒーのおかげで、
学校や道が作られ、
人々の生活が豊かになった。
でも、1980年から1992年の内戦で、
多くの農園が荒れ果て、
家族たちは土地を失った。
Nは、遠くの山並みを眺めながら、
そんな暗い影を思った。
しかし、戦後、
政府と国際支援の手で、
コーヒーは再生した。
高品質なスペシャルティコーヒーへシフトし、
ケサルテペケ(Quezaltepeque)のようなコーヒー産地は、
シトラスやフローラルのバランスの取れた風味で、
世界に知られるようになった。
シェードグロウン—木陰で育てる方法—
が主流で、
環境を守りながら豆を育てる。
アニーは父の遺志を継ぎ、
2001年に自園の精製施設を建て、
収穫から精製までを一貫して管理。
地元のコミュニティを雇用し、
教育プログラムを展開する。
土地と人々が、
再び繋がっていく光景だ。

火山の力、土のミネラル
Nは、手で土をすくい上げた。
火山灰の細かな粒子が、
指の間を滑り落ちる。
豊かなミネラル—
カリウム、マグネシウム、鉄分—
が、コーヒー豆に深い味わいを吹き込む。
標高の高いこの場所では、
昼の暖かな陽射しと
夜の冷たい風が、
豆の成熟をゆっくりと進める。
シェードツリーの葉ずれ音が、
周囲に響き、
パカマラ(コーヒー品種:Pacamara)の実は、
火山の恵みをたっぷり吸収して育つ。
古木の根は、土深くまで張り、
1917年の噴火の記憶さえ
乗り越えてきた。
噴火口El Boquerónを遠くに望む
この農園は、
地震のリスクを抱えながらも、
生物多様性に満ちた
El Boquerón国立公園に隣接する。
Nは、青々とした葉の海を眺め、
自然と人の共生を感じた。
火山の力が、
土に命を与え、
豆に独特の明るい酸味を宿す。

古木の品種と、ミューシレージの秘密
パカマラは、エルサルバドルが生んだ
特別なハイブリッド品種だ。
1958年、研究所でPacas(Bourbonの変異)とMaragogypeを交配し、
30年以上の努力で完成した。
大粒で希少、
遺伝が少し不安定だから収量は少ない。
でも、それがプレミアムな価値を生む。
風味は明るい酸味(オレンジ、シトラス)と
甘味(キャラメル、ハニー)、
さらにチョコレートやフローラルのニュアンス。
農園の古木は、
60年以上の歳月が、
味わいに深みを加える。
気候変動の脅威下で、
こうした品種を守る努力が続いている。
精製はレッドハニープロセス。
完熟したチェリーを手で丁寧に摘み、
果肉を除去した後、
ミューシレージ—粘液層—を40-60%残す。
この層に含まれる糖分
(フルクトース、グルコース、ペクチン)が、
乾燥中に豆に染み込み、
甘味と果実味を豊かにする。
パティオで10-20日、
天日でゆっくり乾燥させ、
定期的にかき混ぜて発酵をコントロール。
火山のミネラルが
ミューシレージの成分を活かし、
土の繋がりをカップまで届ける。
Nは、豆の表面に残る甘い粘りを指で触れ、
秘密のプロセスに魅了された。

カップに宿る繋がり
カッピングルームの柔らかな光の中で、
Nは一杯を口に運んだ。
まず、しっかりと苦味が舌を包み、
酸味の刺激がピリッと走る。
青い果実を齧ったような渋さが、
余韻に残る。
ファーストインプレッションは、
屹立した峠のように厳しく感じる。
でも、次にしっかりとしたコクと深みが広がり、
余韻の中に甘みが漂う。
何より、旨味が全体を優しく繋ぐ。
峠の頂上で広がる甘美な景色が、
混ざり合うようだ。
一筋縄ではいかない、
コーヒー通の心を掴む豆だ。
Cup of Excellenceでの過去優勝
(2003年、2008年、89-92点の記録)と
国際レビュー(Coffee Review 92点: スムースでフルーティー)が、
この味を証明する。
Nは、カップを置いて微笑んだ。
古木の贈り物、
家族の継承、
火山の土—
すべてが繋がり、
この一杯に宿る。
自分も旅人として、
この繋がりを世界に届ける。
この物語を、あなたのカップで。
西原珈琲店にて、ぜひお楽しみください。
※本記事は、エルサルバドル、ロマラグロリア農園の「パカマラレッドハニー SHG」の歴史と特徴を基に創作されたフィクションです。コーヒーの味わいとともに、その土地の記憶と人々の営みを感じていただければ幸いです。
—-風味バランス—-
苦味 ★★★
酸味 ★★★
コク ★★☆
甘味 ★☆☆
焙煎 ★★☆
フレーバー:青い果実、ダークチョコレート、濡れた木
生産国 | エルサルバドル |
農園 | ロマラグロリア農園 |
標高 | 1,200〜1,700m |
品種 | パカマラ |
精選 | レッドハニー |
農園データ