コーヒートラベラーNの手記4:木が話すとき ― アカシアの丘で交わされた、語られぬ記憶〜タンザニア アカシアヒルズ 2025年5月限定コーヒー

はじまり:風が揺らす、無言の木

Nがアカシアヒルズ農園に着いたのは、標高1,900メートルを超える午後のことだった。薄い空気に包まれた丘の上で、一本のアカシアの木が静かに風に揺れていた。

「この木は、いろんなことを見てきた。」

そうつぶやいた農園主レオンの言葉に、Nは足を止めた。風は枝をわずかに鳴らし、まるで何かを語りかけてくるようだった。

木は話さない。でも、話すときがある。

Nはそう思った。

タンザニアの記憶:コーヒーという希望

かつてタンザニアには、無数の小さなコーヒー農園が点在していた。19世紀末、ドイツ人によって持ち込まれたアラビカ種。標高1,500mを超える冷涼な高地に広がる赤土の大地は、コーヒーの栽培にとって最適な環境だった。

しかし、長く続いた植民地支配、政治の混乱、インフラの未整備……さまざまな理由でタンザニアのコーヒーは「量は多いが、質はまばら」と言われてきた。

そんな中、2000年代に入り、スペシャルティコーヒーという新しい価値観がこの国にも流れ込んだ。

「質の高い豆を、丁寧に作る」

――そのシンプルな挑戦が、いくつかの農園の中で芽吹きはじめた。

アカシアヒルズ農園も、そんな挑戦のひとつだった。

三代目が選んだ丘:過去を越えて、豆の未来へ

レオン・クリスティアナキスは、祖父母の代から続くコーヒー生産家系の三代目だった。かつて家族が営んでいたのは、タンザニアの低地に広がる農園。しかし、熱帯の気候では品質の高い豆が育ちにくく、満足いく結果が得られなかった。

2000年代に入り、スペシャルティコーヒーという概念に出会ったレオンは、心を決めた。

「このままじゃ、終われない。」

彼は高地を探し、そしてたどり着いたのがこの丘だった。荒れ果てていた農園跡地に立ち、風に揺れる一本のアカシアの木を見たとき、確信した。

「ここなら、いける。」

木は語らなかったが、何かを見せてくれていた。

この丘では、ケニア由来のSL28という品種が育てられていた。強い日差しにさらされながらも、豊かな酸味と果実味をたたえた高品質なアラビカ種。その豆は、レオンの理想を体現するかのように、じっくりと力強く育っていた。

精選の場:沈黙の中で磨かれる豆

丘の中腹にある精選所。朝採れたばかりのチェリーが赤く熟れ、次々に搬入されていく。水路を流れる豆たちは、やがて発酵槽へと沈められる。

「水で洗うことで、豆の芯が見えてくるんです。」

レオンの横顔は、どこか寡黙だったが、その瞳には確かな意思が宿っていた。数時間の発酵の後、何度も水で洗われた豆は、ざらりと手に心地よく馴染んだ。

沈黙も、洗われて、形が見えてくるのかもしれない。

Nはそう感じた。

乾燥棚にて:風が語る豆の未来

収穫から48時間後、アフリカンベッドの上で豆が静かに乾かされていた。天日と風に晒されながら、豆はじっくりと水分を抜き、風味を深めていく。

若いスタッフが手で豆を混ぜながら言う。

「言葉より、作業で伝えるんです。」

アカシアの木の影が乾燥棚の端を覆っていた。レオンがふと語る。

「日陰にこそ、旨みが宿る。焦って乾かしてはいけないんです。」

風が吹いた。枝が揺れた。豆がわずかに転がった。

風が吹くと、枝が語り出す気がした。

一杯の味:沈黙と衝突の間に

焙煎されたサンプル豆が届き、レオンとNはカップを前に並んだ。香ばしい、焦げたアーモンドのような香りが広がった。

一口、口に含む。

最初に走るのは、ビビッドな酸味。青リンゴのような青さが広がり、すぐに深いコクと重なる。その間に、心地よい渋みが舌に残る。

「若さとビターさがぶつかり合ってる。でも、そこに旨みがある。」

Nは目を閉じて感じた。

語られなかった物語が、味として立ち上がってくる。

結び:あなたにも聞こえますか?

再び風が吹いた。アカシアの木の枝が、ささやくように揺れる。

「話さない人たちが残したものが、今ここで香っている。」

この丘の風、木の影、洗われた豆の静けさ。

そのすべてが、この一杯に宿っていた。

この沈黙の物語を、あなたのカップでも味わってみませんか?西原珈琲店で。

Nの謎:遠い丘に残したもの

農園を発つ朝、レオンが聞いた。

「N、あなたはなぜこんな旅を?」

Nは答えなかった。ただ、小さなノートを取り出し、アカシアの葉を一枚挟んだ。

僕の祖父は、最後まで何も語らなかった。僕もまた、語らないことで、誰かの声を聞こうとしているのかもしれない。

誰かの言葉の代わりに、この土地の風景と味を残す――

それが、Nの旅の理由のひとつだった。

この物語を、あなたのカップで。
西原珈琲店にて、ぜひお楽しみください。


この物語について

本記事は「タンザニア アカシアヒルズ」のスペシャルティコーヒーをもとに、実際の風味・歴史・生産背景から着想を得たフィクションです。コーヒーを通して、アフリカの土地と人と、未来を感じていただければ幸いです。

—-風味バランス—-

苦味 ★★★

酸味 ★★★

コク ★★★

甘味 ★☆☆

焙煎 ★★☆  

フレーバー:焦がしアーモンド、青リンゴ、シガー、青草

農園データ

生産国タンザニア
標高1,750〜1,950m
品種SL28
精選フリーウォッシュド