二つの海を見る山、境界を越える味:パナマ・ボルカンバルが描く大陸の背骨 2026 年2月のシングルオリジン「パナマ SHB ボルカンバル」(コーヒートラベラーNの手記13)

第一章:大陸の背骨に立って

世界には、地図を広げながら飲みたくなるコーヒーがある。

今回の旅先は、中米の細長い地峡、パナマだ。

その西部に、標高3,475メートルを誇る国内最高峰がそびえ立っている。バル火山。この山の頂は、地球上でも稀有な場所だ。晴れた日には、西に広がる太平洋と、東に広がるカリブ海の両方を、同時に肉眼で捉えることができるからだ。

「この山こそが、コーヒーの生みの親だ」

案内してくれた現地の農園主、カルロスが誇らしげに言った。彼の顔には、高地の強い紫外線が刻んだ深い皺がある。

今回のコーヒー、パナマ SHB ボルカンバルは、この巨大な大陸の背骨の東側、ボケテ地区の深い谷で生まれた。

二つの海を見下ろす山。その壮大な視座が、カップの中にどんな風景を描き出すのか。Nは期待を胸に、湿った土の匂いが立ち込める山道を降りていった。

第二章:花と清流、常春の谷を行く

農園へ向かう前に、Nはボケテの街を少し歩いてみることにした。

カルデラ川という名の、雪解け水のように澄んだ急流が街の中央を貫いている。川にかかる橋の上に立つと、冷涼な水飛沫とともに、甘く濃厚な花の香りが風に乗って漂ってきた。

ここは常春の谷とも、花の谷とも呼ばれている。

その名の通り、通りのいたるところでブーゲンビリアやハイビスカスが競うように咲き乱れ、民家の庭先からはオレンジやレモンの木が枝を伸ばしている。

メインストリートは活気に満ちていた。

市場には、近隣の農家が持ち寄った新鮮な野菜や果物が山積みにされ、土と緑の匂いが立ち込める。その間を行き交う人々の中に、ひときわ目を引く姿があった。

幾何学模様の刺繍が施された、鮮やかな色のドレスを纏った女性たち。

この地の先住民族、ノベ・ブグレ族の人々だ。彼女たちの纏う極彩色のドレスはナグアと呼ばれ、この緑深い谷の風景に鮮烈な彩りを添えている。

彼女たちはカゴを背負い、静かなスペイン語や独自の言葉を交わしながら、コーヒーの収穫や市場での買い物にいそしんでいる。

古い開拓時代の面影を残す木造の建物と、モダンなカフェ、そして先住民の伝統的な暮らし。それらが不思議な調和を保ちながら、この谷の空気を作っている。

どこからか、香ばしいナッツのような焙煎香が漂ってきた。街全体が、コーヒーという文化のゆりかごの中にいるようだ。

第三章:風の通り道、虹の谷

街を抜け、さらに標高を上げると、肌に感じる空気が一変した。

太平洋側に位置しているはずなのに、空気はしっとりと重く、どこか遠い海の匂いがする。

「妙な天気でしょう? 空は明るいのに、雨が降っている」

カルロスが空を指差して笑った。

見上げると、細かい霧のような雨が、強い風に乗って谷を流れていく。

「これがバハレケだ」

カリブ海から吹き付ける湿った貿易風が、バル火山の山肌を駆け上がり、この谷へと吹き下ろす。この時、風は冷やされ、天然のシャワーとなってコーヒーの木々を濡らすのだ。

ふと、雲の切れ間から強烈な陽射しが差し込んだ。瞬間、霧のスクリーンに巨大な虹が架かる。

「ようこそ、虹の谷へ」

この激しい気候のコントラストこそが、ボケテ産コーヒーの味の決定打だ。

霧のカーテンは直射日光を遮り、湿度は日陰を作り出す。コーヒーチェリーは、冷蔵庫の中にいるようにゆっくりと成熟し、その小さな種子に驚くほどの糖分と、クリーミーな密度を蓄えていく。

風が通り抜けるたびに、コーヒーの木々は揺れ、その実に甘みを蓄えていく。

それはまるで、二つの海を結ぶ風が、味の通り道を作っているかのようだ。

第四章:嵐に耐える小さな巨人

標高1,350メートル以上。

呼吸が少し浅くなるこの急斜面で、Nは足元の木々に目を留めた。

強風が吹き荒れているにも関わらず、そのコーヒーの木々は倒れることなく、地面に踏ん張るように低く構えている。

「カツアイだ。こいつは背が低くて頑丈なんだよ」

カルロスが愛おしそうに、赤く熟した実を撫でた。

「ゲイシャのような派手さはない。だが、この風の通り道で生き抜くには、この強さが必要なんだ」

彼は続けた。

「この過酷な環境で、実はゆっくりと硬くなる。夜の冷え込みがさらに身を引き締める。そうして生き残った豆だけが、SHB(ストリクトリー・ハード・ビーン)という最高等級を名乗れるんだ」

この銘柄にはさらにEP(ヨーロピアン・プレパレーション)という称号も付いている。

それは、ヨーロッパ市場向けの極めて厳格な選別基準をクリアした証。

「妥協は一切ない。この山のように、揺るぎない品質だけを届けるんだ」

カルロスの瞳には、職人の誇りと、自然への畏敬が宿っていた。

第五章:境界線を越える常夏の味

農園のテラスで、カルロスが淹れてくれたコーヒーをいただく。

立ち上る湯気の中に、ローストされたナッツのような香ばしさと、バル火山の風を感じる。

一口含むと、Nは思わず眉を上げた。

「……面白い酸味だ」

それは単調な酸っぱさではない。

最初は明るく弾けるような印象だが、すぐに角が取れ、まろやかで果実感のある甘酸っぱさへと変化していく。まるで、もぎたてのオレンジをかじった時のようなジューシーさだ。

そして、その奥から現れるしっかりとしたコク。

バハレケの霧が育んだ豆の密度が、クリーミーな質感となって舌を包み込む。

飲み込んだ後、舌の上にわずかに残る心地よい渋み。

それは嫌な雑味ではなく、ワインのタンニンのように味の輪郭を引き締める余韻だ。この火山の土壌が持つ力強さが、最後の最後に顔を覗かせる。

「どうだい? ここは太平洋側だが、味はカリビアンだろう?」

カルロスがニカっと笑った。

確かにそうだ。この開放感、この陽気な余韻。

日本の凍えるような2月の寒さを忘れさせる、圧倒的な常夏気分がそこにあった。

これは、境界を越える味だ。

太平洋と大西洋、酸味と甘み、そして滑らかさと微かな渋み。

それらを分ける線を、このコーヒーは鮮やかに融解させていく。

エピローグ:地図を広げて

日本へ戻り、2月の寒空の下、Nは再び地図を広げた。

指先でパナマの小さな点をなぞる。

バル火山の頂きから見る景色は、きっとこんな味なのだろう。

圧倒的な開放感と、どこまでも続く水平線。

もしあなたが、日々の閉塞感や冬の寒さに縮こまっているなら、この二つの海を見る山のコーヒーを飲んでみてほしい。

そのまろやかな酸味としっかりとしたコクは、あなたの心にある境界線さえも、きっと軽やかに越えさせてくれるはずだ。

あなたのカップに、大陸の風を。

2月限定 パナマ SHB ボルカンバル

パナマ最高峰の麓、風と霧が育んだボケテ地区の傑作。

カリブの風がもたらす果実感のある酸味と、高地栽培ならではのしっかりとしたコクが、冬の日常に鮮やかな風を吹き込みます。

Profile:

苦味:★★☆ (ほどよい苦みで飲みやすく)

酸味:★★★ (まろやかで果実感のある酸味)

コク:★★★ (しっかりとしたボディ感)

甘味:★★☆ (ナッツや果実のような甘み)

焙煎:Medium Roast (中煎りから中深煎り)

Data:

生産国: パナマ

地域: チリキ県 ポケテ地区

標高: 1,350m以上

品種: カツアイ

精製: ウォッシュド