古い地図と聖なる谷の冒険
Nは、ペルーのCajamarcaの霧深い山道を歩いていた。手に握るのは、1968年の革命の年に書かれた古い地図だ。紙の端は擦り切れ、インクで書かれたメモが薄く残っている。
「Santuario—聖なる場所」
と書かれた一文に導かれ、San Ignacioの谷にたどり着いた。朝陽がアンデス山脈の斜面を照らし、グアノの香りを帯びた火山土壌が足元で柔らかく響く。
目の前に広がる小さな農園では、コーヒーの木々がバナナの木陰に守られ、赤いチェリーが朝露に輝いている。
「ようこそ、私たちの谷へ。」
農家のマリアが笑顔で迎えた。彼女はAPROCASSI協同組合のメンバーだ。600人以上の零細農家が集まり、この谷で未来を育てている。
「この地図、どこで見つけたの?」
マリアが地図を覗き込みながら聞いた。
Nは、革命の遺産が息づくこの場所で、冒険の始まりを感じた。

革命の種、再生の物語
Nは地図を広げ、マリアに尋ねた。
「この谷のコーヒーは、どんな歴史があるの?」
マリアは目を細め、遠くの山並みを指さした。
「18世紀、フランス人宣教師がアラビカ種を持ち込んだのが始まりよ。19世紀には、『黄金の豆』として輸出が盛んになり、国を支えたわ。」
しかし、1968年の革命がすべてを変えた。大農園は解体され、土地は小さな農家に分けられた。平均5エーカーの畑で、農家たちは新しい夢を植えた。
「内戦の傷跡が残る中、1980年代から協同組合が生まれ、スペシャルティコーヒーへの道が開かれたの。」
マリアの声に、誇りがこもっていた。
Nは、谷の風に吹かれながら、革命の種が今も芽吹いていると感じた。
サン・イグナシオの街角、響く鼓動

農園訪問の前、Nはサン・イグナシオの小さな町を歩いた。石畳の細い通りは、色鮮やかなアドビの家々が連なる—アドビとは、日干しレンガでできた伝統的な建物で、土の温もりが感じられる。
市場では、マンゴーやパパイヤの甘い香りが漂い、広場で子供たちが笑い合う。路地を曲がると、老人が木陰で「ティコ」をすすっていた—ティコとは、小さなカップに入れたエスプレッソ風の濃いコーヒーで、地元の人々の日常の活力源だ。Nは、その素朴な一杯に、谷のコーヒーの源流を感じた。
屋台の女性が、元気よく呼びかける。「タマーレス!新鮮よ!」タマーレスとは、トウモロコシの粉を練った生地を具材と混ぜ、トウモロコシの葉に包んで蒸した伝統食だ。Nは一つ手に取り、支払うと、女性が「アンデスの味を味わってね!」と明るく言った。
彼女の顔は日焼けし、目尻に笑いジワが刻まれ、谷の厳しい生活を物語るが、声は温かく、客を家族のように迎える雰囲気だ。Nはベンチに腰を下ろし、タマーレスをかじった。熱々の蒸気が立ち上り、トウモロコシの優しい甘さとスパイスのピリッとした刺激が広がる。
街の喧騒—鶏の鳴き声、バイクのエンジン音、子供の笑い—が、革命の落書きが残る壁とともに、町の鼓動を伝える。このコントラストが、静かな谷の農園と繋がり、Nの心に深い印象を残した。
路地裏で、壁に残る革命の落書きを見つけた。色褪せた「Tierra y Libertad」(土地と自由)の文字。この町の鼓動は、1968年の革命のエコーだ。農家たちが土地を取り戻し、コーヒーの木を植えたように、この町もまた、過去と未来を繋ぐ生き物だと感じた。Nは、市場の喧騒と静かな谷のコントラストに、聖なる場所の息吹を見た。
聖なる谷の恵み
San IgnacioとJaenの高地、標高1,450メートル。火山性土壌がミネラルを蓄え、アマゾン川の源流近くの熱帯雨林気候が豆を育む。昼の暖かさと夜の冷気が、チェリーをゆっくり熟成させ、深い味わいを宿す。
「この土、グアノで養われているのよ。海鳥の糞から作られた肥料で、土を豊かにするわ。」
マリアが土を手にすくい、Nに差し出した。
バナナやアボカドのシェードツリーが土壌を守り、生物多様性に満ちたこの谷は、気候変動の干ばつやさび病に立ち向かいながら、持続可能な未来を築いている。APROCASSIの農家たちは、女性農家が3割を占め、子供たちの学校を支え、森を再生する。
「私たちは、この聖なる場所を、みんなで守っているの。」
マリアの言葉に、谷の力が響いた。
品種のハーモニーと、クリーンな秘密
Nは木に近づき、マリアに尋ねた。
「Santuarioのコーヒーは、どんな品種なの?」
マリアは木の葉を撫で、微笑んだ。
「Typicaのナッツのような甘さ、Bourbonのフルーティーな深み、Caturraの明るい酸味よ。60%以上が伝統品種で、谷の物語を語るわ。CatimorやCastilloはさび病に強く、未来を守る力を持つ。」
Nは、品種の多様性がこのコーヒーの魂だと感じた。
マリアが続けた。
「Washedプロセスが、その魂をクリーンに引き出すの。」
完熟チェリーを摘み、果肉を剥がし、20-36時間発酵させてミューシレージを分解。水で丁寧に洗い、アフリカンベッドで10-20日ゆっくり乾燥させる。
Nは、農家が豆をかき混ぜる姿を見た。
「まるで、谷の秘密を解き明かす鍵ね。」
マリアが笑った。このプロセスが、雑味のないクリーンな風味を生む。
カップに宿る、聖なるダンス
カッピングルームで、Nは一杯を手に取った。
香りはベリーとオレンジ、雨後の土の清々しさ。飲むと、しっかりした苦味がまず広がるが、渋みやえぐみは一切ない。
スムースで抵抗なく、酸味がベリー系の甘みと心地よく踊る。甘さはくどくなく、舌の上でまろやかな旨味となって転がる。
飲んだ後は、まるでそれまでの味のダンスがなかったかのように、優しいビターが静かに残る。そしてまた、ダンスの輝きを楽しむために飲みたくなる。
SCAA 2010年の1位、Qグレード83.25点の評価が、この豆の輝きを証明する。Nはカップを置き、微笑んだ。革命の種、農家の情熱、聖なる谷の土—すべてがこの一杯に繋がる。サン・イグナシオの街角で感じた鼓動が、カップの中で響き合う。自分は旅人として、このダンスを世界に届けるのだ。
この物語を、あなたのカップで。
西原珈琲店にて、ぜひお楽しみください。
※本記事は、ペルー・Cajamarca県San Ignacioの「Santuario」の歴史と特徴を基に創作されたフィクションです。コーヒーの味わいとともに、その土地の記憶と人々の営みを感じていただければ幸いです。
—-風味バランス—-
苦味 ★★★
酸味 ★★☆
コク ★★★
甘味 ★★☆
焙煎 ★★☆
フレーバー:ベリー、オレンジ、雨後の土
農園データ
生産国 | ペルー |
標高 | 1,450〜1,700m |
品種 | ティピカ、カツーラ、カツアイ、カチモール、カスティージョ、ブルボン |
精選 | ウォッシュド |
農園データ